東京の下町、巣鴨にある十文字中学・高等学校。1922年設立という歴史ある私立の女子校で、建学以来の精神として、子どもたちが本来持っている「学びたい」という気持ちを刺激し、力を引き出すことを大切にしている。そうした教育方針のもと、コース制や探究学習、ICT教育の導入などに積極的に取り組み、継続的に医学部や国公立大学合格者を出すといった結果も出している。
学校生活や授業ではどのように生徒と向き合っているのか。民間企業と予備校講師を経て教師になったベテランの鈴木先生と、鈴木先生を尊敬し協働しながら追い付き追い越そうと奮闘する黒田先生に話を伺いました。
ちょっとした躓きから数学を嫌いになってほしくない
―鈴木先生は、民間企業や予備校講師も経験されているそうですが、どのような経緯で教師になろうと思われたのですか?
鈴木先生:私の場合、学生時代は教育にはまったく興味がなくて、人に教えるのは苦手な方だと思っていました。それが、新卒で入社した電機メーカーでソフトウェア開発の技術者育成に携わるうちに、難しいことをわかりやすく伝えることの面白さ、わかってもらえたときの達成感に魅力を感じるようになったんです。そこで思い切って会社を辞めて予備校講師になったんですが、予備校で教えていると、自分が中高生のときには普通にみんなができていたようなところで躓く生徒がけっこういたんですね。計算がうまくできなかったり、ちょっとした自分の勘違いや書き間違えに気づかずに手が止まってしまったり。そんな子どもたちを見ているうちに、今度は今の中学や高校でどんな指導をしているのか、自分たちのときと何が違うのかに興味が出てきました。そこでまずはあちこちの私立高校や中学に派遣講師として行くようになったんですが、紐解いていくと、単位の換算や分数、小数といった小学校でやってきたはずの内容が理解しきれていないことが、中学や高校になってから躓く原因になっているのかなと気づきました。それは、決して難しいことではなくて簡単なこと。こんなところで挫折してほしくない、数学を嫌いになってほしくないという気持ちから、学校教員としてフィールドを広げたいと思うようになりました。
ティーチングからコーチングへ。生徒の自由な発想とやる気を引き出す
―教師になってから、生徒と向き合う上で、どんなことを大切にされていますか?
鈴木先生:色々ありますが、ひとつはティーチングからコーチングへ切り替えるということを意識しています。例えば、ある問題の答えを導くとき、「こういうプロセスで解くよ」と一方通行で伝えて、ある種強引に納得させるようなスタンスがティーチングにはあるように思うんです。対してコーチングでは、「物事はいろんな角度から見ていいんだよ」と生徒の自由な発想を促します。問いに対してどこが一番気になるか、どんな式が作れそうか、どういうルールが当てはまりそうか。生徒が自ら考える時間を与えて待ちます。なかなかうまく考えられなかった子は答えたがらないものですが、間違っている・合っているではなく、小さな気づきでも一人ひとりの考えを聞き出して、「いいね!そういう考え方もあるね!」と、すべての考えを肯定的に受け止めることを大切にしています。
教師と生徒は一般的には上下関係にあると思うんですが、こういうときは同じレベルに立って話すことが大切です。生徒が同じ目線だと感じてくれればしめたもの。こちらから考えを聞き出しやすくなりますし、「こう考えるとおかしいかな?」と、こちらの考え方を投げかけても素直に受け入れてくれるようになります。なかには、私にはなかったような凄い発想をする生徒もいて、そんなときに「どうしてそんなこと思いついたの?先生に教えて」と本音で言うと、生徒は俄然やる気になります。一方で、その問題の正解につながらない考え方だったとしてもいいんです。ティーチングで教え込むのでは、教えたことしかできるようになりませんが、自分で発想して起こしたアクションは、別の問題を解くときや数学と離れたことにでも使えるケースが必ず出てきます。 もちろん単元ごとの限られた時間を考えたら、すべての授業をこの形式でやるのは難しいですが、ここで1時間分使っても大丈夫という授業計画のもとに思い切ってやってしまいます。こういったやり方の中で、数学が嫌いだった子が前向きな雰囲気を出すようになる姿をたくさん見てきたので、生徒にとってもいいやり方なのかなと感じているところです。
黒田先生:実際、鈴木先生が受け持つと、数学が得意な生徒が少ない学年から5つの大学医学部への合格(補欠合格含む)が出たりするんですよ。僕は、最初は鈴木先生のこういった授業のスキルがすごいんだと思っていたんですが、それだけじゃないんです。僕が鈴木先生の背中を追いかけ始めて5年目くらいの頃ですかね、鈴木先生の学年集会を見に行ってその熱さに驚きました。授業単位やクラス単位でなく、学年ごとなんとかしようとしている姿を見て、僕に足りないのはここかと思いましたね。
生徒たちって頭では勉強しないといけないとわかっていても、どうしても気持ちが緩むときがありますよね。そのタイミングを見極めるのが鈴木先生はすごく上手いんです。そして、怒るというより強い言葉で生徒のやる気に火をつける感じなんですよね。
広くアンテナを張り、生徒の気持ちの緩みをいち早くキャッチ
―タイミングを見極めるコツはあるんですか?
鈴木先生:しいて言うなら日頃からアンテナをたくさん張っていますね。そして張ったアンテナからはもれなく情報をキャッチしていきます。自分の中でふと起きるんですね。今ここでひとつ仕掛けておかないとまずいかもしれないなと。生徒や周りの先生のちょっとした一言などをきっかけに気づくことが多いです。
黒田先生:この前の模試の結果も誰より早くチェックしていましたよね。今、鈴木先生は副部長という立場なのでクラスは持っていないんですが、学年の進路担当の先生が模試の結果を配るより前に、鈴木先生は自分で調べて「ちょっと良くないな」って。あまりの早さにびっくりしました 笑。
そのときも、担任の先生に断ってから授業の前に熱いことを言ったみたいなんです。そのあと、生徒2人が僕のところに来て「鈴木先生に、凄いこと言われたー」って泣き付かれて。でも次の日に「どう?」って聞いたら、「やる気出ました!」って前を向いていました。ちなみに、あのときはどんな話をしたんですか?
鈴木先生:一番強く伝えたのは「君たちにはやれる力があるのに、それを出さないのはもったいなさ過ぎないか」ということです。誰しも楽をしたいという気持ちはあるかもしれないけれど、何かひとつ成功を収めるためには楽な道を選んではいけないんだということを言いましたね。
―クラスや学年という単位だと、中にはすごく頑張っていて結果も出ている子もいますよね。そのときに全体に向けていうと、「私は頑張ってるのに…」といった不満は出てこないんですか?
鈴木先生:そこは言い方に気を付けています。「中にはできている子たちもいるのはわかっているけど、その子たちも含めて言うね」と。できている子たちはできているとわかっているよと始めに肯定的に伝えてから、でもできていない子たちもいるからちょっと一緒に話を聞いてねという風に話します。そうしたら何も文句は出ません。
黒田先生:知らなかった…なるほど。そういうところ大事ですよね。
挑戦の積み重ねで今がある。生徒にも挑戦を促し、自らも挑戦を続ける
鈴木先生:アンテナをたくさん張ってタイミングをつかんだり、やる気を出させる声をかけたりすることがなぜできるのか以前にも聞かれたことがありました。これはあくまで私の考えで間違っているかもしれないんですが、もともと電機メーカーにいて、予備校という別世界に飛び込み、今また似ているけれど学校という別の世界にいる。そうした様々な世界に挑戦し培ってきた経験値がつながって、今があるのではないかと思っています。
だから、今でも興味を持ったことは何でも調べたりやってみたりしていますし、生徒にもできるだけ色んな経験をした方がいいと言っています。不安があっても、周りから心配されても、興味を持ったことは諦めずにやった方がいい。チャレンジして失敗したとしても、そこから新たに何かを見出せるというのは素晴らしいこと。普段の生活での経験が、数学や他の勉強につながることもあります。また、先ほどの数学の授業でのコーチングも同じで、自分自身で考えてできたことをつなげていくのが大事。色んな発想をするという経験を積み重ねていけば、違った問題を解くときや、生活の中で壁にぶつかったときに生きてくると思うんですよね。
ベテランから若手へ。知見を引き継ぎ、新しい指導方法を共に創り出す
―黒田先生は、何をきっかけに鈴木先生の背中を追うようになったんですか?
黒田先生:教師になって1年目、鈴木先生の授業を見学させてもらったとき、生徒一人一人に「医師になりたい」「××大学に行きたい」といった夢や目標を掲げさせ、受験でしっかり結果を出せる力をつけさせる授業が「いいな、自分もこんな先生になりたいな」と感じて、そのとき僕のスタイルは鈴木先生を参考にしようと決めました。鈴木先生の授業中に教室の後ろに立って、何を話しているのか、どんな喋り方をしているのかを観察したり、先ほど話したように学年集会を見に行ったり、教えを乞うというより、何か少しでも盗もうという気持ちで追いかけてきました。
去年初めて同じ学年の担任になったので、傍で日々の授業の準備などを見られるようになったんですが、12年追いかけてきてもまだ驚くことばかりです。先ほど話した情報をキャッチするスピードもそうですが、ご自身は簡単に解ける教科書を、生徒にわかりやすく伝えるためにと隅から隅まで注意書きまでもらさず読んでいたり、「こういう細かいところも生徒に言った方がいいよ」とアドバイスをくれたり。なんでも隠さず教えてくれますし、先ほど鈴木先生自身も言っていたようにずっと高みを目指し挑戦し続けているところが本当に凄いなと思います。
鈴木先生:黒田先生のような若い先生たちのためになることがあるなら、私が持っているものは、どんどん引き継いでいきたいです。指導方法にはいろいろあっていいので、私のやり方に黒田先生のオリジナリティを加えてアレンジをしていくのもいいのではないかと思います。これからも黒田先生には、こういうやり方で教えてみるのもいいねといった提案はどんどんしていきますし、好きなだけ私から盗んでくれればいいと思っています。
黒田先生:嬉しいですね。でも、僕としては鈴木先生を「師匠」という感じには見てないんです。もう少しギラギラしている。いつか絶対勝ちたいなとか、「憧れの先輩」というのが近いかもしれないですね。鈴木先生が知らないことを少しでも多く少しでも先に知りたい。そんな気持ちが、ICTの導入に動く原動力になりました。
黒田先生が導入に動いたICTが、昨年のコロナ禍で休校を余儀なくされたときに大きな効果を生みました。後半では、黒田先生のICTの知識と鈴木先生の経験とアイデアの掛け合わせで実現したリモート授業の事例を中心に詳しくお話を伺っていきます。